アーティスト ミレイヒロキさんインタビュー
ミレイさんとヒロキさんによる二人で一人の芸術家として活動。4枚の花びらの花をモチーフとしたシンプルながらも独特な絵柄が特徴。
これまでに、ミッキーマウス生誕75周年、90周年記念絵画制作、ビニール傘の使い捨て問題を題材にビニール傘に花を描いた作品を発表、新聞、報道など社会面で数多く取り上げられる。
SHARE FLOWERSを立ち上げ「環境・心」などをテーマに作品を制作している。
今回はヒロキさんにお話をうかがった。
◇どうしてアートを仕事にしたのか
20歳の頃は「むしろ自分のやりたいことが一体なんなのか」を模索する日々だった。
クリエイティブ=ビジネスと結びつくまでに31、32歳の頃までかかった、30歳という色々なものが揺れ動く時期に同級生や環境が変わり真剣に考える。
ヒロキさんの場合はアメリカにいたのもあり、まずは作品がどれだけ多くの人に知れ渡るかを優先しておりアート=ビジネスとは一切考えずにいた。
どうやったらアートで食べていけるよりもまずは作品作り。
お金や裏の作業を水面下で頑張らなければならない。そこでふるいに落とされてしまう人がかなり多い。
日の目を見れる人は全体の八分の一程度である上にやり続けているからと言っていつか売れるかというと難しい。
アーティストは世の中で最も枠が少ない仕事でありそれだけで食べていける人は五人ほどしかいない。プロ野球選手になるよりも難しい。
全く食べれないか、それだけでやっていけるかの二択しかない。
◇シンプルな「花」を描き続けた
ミレイさんとヒロキさんがそれぞれアメリカで作品を描いていた。画材が買えなかったがそれでも絵が描きたいという欲求が強かった。そんなとき、たまたま手元に残っていた藁半紙とミレイさんの持っていたクレヨンを使って二人で欲求を満たそうときに生まれたのが四つの花びら。
偶然ミレイさんがその花を描き、ヒロキさんがそこに何かを描いて。
完成品を見て「あれ、これってなんか面白いな」、と連作を制作することを決意。
バラバラで描くよりも二人で一枚の作品を描いた方がいいのでは、と思わせたのがたまたま四つの花だった。
お二人が独学でアートをやろうと思ったことの一つの救われたポイントでもある。
芸大や絵の勉強をしていたら「この花でアートの世界で勝負することは無理だ」と植え付けられていたのではないかと思える。美術館が学校だったからこそ歴史に残るようなアーティストが同じの人間だと思えた。
この花ってひょっとしたらヒトを描いているのかもしれない。生命をこの花に託しているのでは、と独学であるが故に全て後付けで「なんでこうやっているのだろうか」というものを見つけるスタイルにたどり着いた。
花はたまたま「これを描いていこう」と思ったことが正しかったか、正しくなかったはいまだにわからない。
伝えたいことを伝えるために花を始めたというよりも「なんだろうこれ、とりあえず描いてみよう!」という二人の客観的な視点から進められた。
◇二人だからこそ客観視ができる。
一つの作品に対しての二人の比重は変わるが常に横にいて色はどうだろうか、などと言ったアドバイスをし合うスタイルで制作。一人であると悩みながら進めるしかないが、二人であればセッションをしながら進められる。
自分たちは逆に最初から一緒に制作するスタイルであるため意見が合わないことはなく、二人だからこそ相談しながら描き進められている。
「これに何をこめて伝えようか」ではなく「こんなものが生まれてしまった」と思うことが多く。
自分の制作した作品でも展示されるとすこし客観的に見えてしまうため、誰かが絡むことでこの“花”の意味がはっきりすることが未だにある。
例えば展示会など、来てくれたお客さんの様子や声を聞くことで自分たちでは気づかないこの花のことに気づくこともある。
写真はミレイヒロキのミレイさんの方(左から2番目)
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